言葉にならなくても心が溢れていることを感じる。言葉にならないから心が走ることがある。大事なことは、必ずしも言葉によって伝えられるものではない。
生きてきて誰もが皆んな、
その様なことを一度や二度は感じるだろう。
言葉は、人と人とが意思疎通を図る一つの大きな手段ではあるけれども、あくまでも一つの手段なのであって、意思疎通は言葉を超えたところからでも起こることがある。
ただ そこには限りない集中と
それまでの膨大な蓄積がある
本人らはそのことに気付かないくらいの繊細な領域で、確かにそうした作業が行われているし行われてきた。限りない集中と膨大な蓄積。
人間は
体による人間ではなく
心による人間
そうは思わないだろうか?
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