そうは思わないだろうか?
知らない人に声をかけてはいけない社会。
知らない人は、何かに巻き込まれるものだ。
知らない人は、自分の範疇を超えた何かだ。
知らない人は、知らない出来事をもたらす。
知らない人は、とにかく人を利用してくる。
知らない人というのは、善良な人の心を利用して何かしらの悪事を働き、社会の秩序を乱すものとして機能している。知らない人とはそんな奴だ。
そんな見解をもってはいないだろうか?
ニュースを見ているとそうだろう。
人の話を聞いてみてもそうだろう。
多くの場合はろくな話がない。
何とも暗い社会ではなかろうか?
いや、それとも暗いのは意識の方か?
こう考えてみてはどうだろうか?
社会という存在があるのではなく、
社会という認識があるのではなかろうか?
実は、社会という実体はなく、
社会は観念。その観念を生み出す意識の問題。
知らない人との出会いがないのなら、人間は一体どうなっていくのだろうか?皆さんは、考えたことがあるだろうか?知らない世界との出会いがないのなら、人間は一体どうなっていくのだろうか?
知らないということに何か悪いイメージがあるなら、知らないところから出発した人類の始祖たちは、或いは現代であっても赤ちゃんたちは、劣っていて敬遠されるべきものなのだろうか?警戒されるべき対象だったのだろうか?
知らないということが問題なのではなく、
知っているということにまつわる問題。
そして、そもそも知っているということすら、本当に知っていることになるのか?との疑問を抱くとき。知っているということであっても、相当に危ういことだってある。ホントに知っているの?
よくは理解していなくても、知っている。
人間は、そういうことが沢山ある。
知らない人に声をかけてはいけない社会。
だからこそ、島崎は声をかける。
声をかけることで、その社会は変わる。
誰もが声を掛け合うことが当たり前の社会。
人間は、おかしな存在ではない。
人間は、∞の可能性。
いま、人間に対する再規定が必要なとき。
そこに疑問を放つ時が来ている。
だから、知らない人に声をかける。
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