渋谷駅で声をかけた女の子。
たった5分か10分しか話していない。
話しかける直前にフッと過ぎった考えは、「この人、大人で、かっこよくて、美しいけど、声かけても相手にされないかもなー」などというものだった。
しかし、知らない人に声をかける人の精神とは何だ?声かける代表としての姿勢とは何だ?知っていることから自由、知っていることだけに囚われない。
フッと想ってしまっていることも、
知っていること。
知ってることから自由。
今こそ、実践。
その心の決断あって、
結果的に、メールしながら
互いに豊かな交流が膨らむ。
先日、ダンスの発表会があるとのお誘いを受けて行ってきた。ダンスの発表会は初めての経験。お声がけ頂いた時からワクワクは始まり、1週間前にもワクワクは膨らみ、分からないなりにも心を躍らせる意味では僕もダンスをしていたに違いない。
知らない人に声をかける同志と共に参加したかったのだが、同志は外せない先約があり、僕1人で参加・・・のハズだったのだが、何と同志はある女の子をダンス発表会にお誘いしていたのだ。
僕もその女の子は知らない。
実は、同志もその女の子とは会って数日。
何と、中目黒駅付近で声をかけたばかりの人だという。これには大層、驚いた。ダンス発表会に誘ってくれた女の子は、僕が渋谷駅で声をかけた人。発表会で顔を合わせるのは出会った時を含めても何と3回。
それが、当日に一緒に参加する女の子は、知らない人に声をかける同志が出会ったばかりの人。要するに、知らない人。
このシチュエーションが何とも面白い。
知らない人だった人のダンスを見に行く。
一緒に行く人は僕が知らない人。
その知らない人は、同志が声をかけた知らない人。
知らない人と、知らない人のダンスを共にする。
間にいた同志(知っている人)は、その場にいない。
知らない人だらけ。
だけど、出会っている。
何とも面白い。
こんなに豊かなことはないよ。
人生、
こんなに豊かなことはないよ。
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