この言葉を聞くことはあっても、日本というこの環境では、一人ひとりに馴染みのある言葉かというとそうではない気がしている。
皆さんはどうだろう?
日常の会話の中で、開発という言葉が出てくることはあるだろうか?
僕は子どもの頃、歴史シミュレーションゲームが大好きで、KOEIが出している三国志シリーズや信長の野望シリーズなどに随分とお世話になった経験があるので、この開発という言葉や、その言葉が指し示すイメージの何たるかには早くから触れていた。
にも関わらず、開発というイメージの事をどれだけやったかというとそうではない。
しかし、ある時から事情は変わる。
よし!
これで日本が変わる。
人間が変わる。
歴史が変わる。
と確信を抱いた時から、僕は知らない人に声をかける様になり、その声かけをする様になって10年。紆余曲折もありながら、声をかけることの可能性と素晴らしさに今一度確信を深めて、自ら事業として立ち上げようと心に決めてから声かける代表として声をかける様になった。
10年前からの僕が声をかける様になってから、一体何を積み上げてきたのかと言えば、それは失敗の連続であり、無視や軽視の洗礼であり、人類歴史が積み重ねてきた涙だった。
知らない人に声をかけるということは、それはもう尋常なことではない。今の時代、この日本において知らない人にこえをかけるということがどういうことなのかを想像するのに、皆さんは難しくはないだろう。
皆さんが想像した通りのことが、ほぼ、その通りに起きている。
だから、そんな中でも声をかけようとする人にとって、この開発という言葉はとても在り難くて重要な意味を持つ。
今日、声をかけようとする時に、また新しい領域を開発した。
やはり、人と話しながら、交流しながら、というのは、新しい領域へと飛び出させてくれるのに十分な効果を発揮する。今日より、新しく開発したこの道具を用いて、声をかけようと思う。
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