滋賀県の実家。
生まれてから何回か引っ越してはいるが、今の実家はもう20年にもなる。父も母も、人生が華やかな訳ではなく、粛々と毎日を生きて、淡々と日常をこなしているが、昔というか子どもの頃の僕からは、何だかとても面白くない人種に見えた。
しかし、実家を離れて、日本や人間の可能性と出会い、歴史を変化させて時代のミッションを果たしたいと動き出してからというもの、父母の生きる姿は、今の僕自身の土台であったり、原点であったりすることに気付く。
実家での4日間は、そのほとんどの時間を家族との交流に使った。
母とは料理を一緒につくり、
父とは掃除をしたり選挙の話をしたり。
いつもは旧友との旧交を温めたり深めたりすることが多い実家帰りも、今回はその時間を合えてゼロとして、家族との交流を盛んにしたかったのだ。
そうして得たもの。
確認してきたこと。
それがとても深遠で、崇高で、偉大なものだった。
僕の父母は、こうであったのか!
だから、僕は今、こうであったのか。
一体、島崎家とはどんな家だったのか?
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